長年働き続けてきた日々の先に待つ年金額を前に、私たちは何を感じ、どう備えていくべきなのでしょうか。
田中一郎さん(65歳・仮名)は、日本年金機構から届いた一通の封書を、少し重い気持ちで手に取りました。
そこに記されていたのは、今回決定された年金額。その下には、年金の計算の基礎となった加入期間の内訳や年金の計算の基礎となった平均標準報酬額等の内訳などが記されています。
その額、16.8万円。
これは額面なので、最終的に手にするのは税金やら保険料やらが引かれ額面の85〜90%が手取り額といわれているので、14万〜15万円ほどでしょう。
毎年誕生月に届く「ねんきん定期便」などで、おおよその見込み額は把握していた田中さんですが、今までは決定額ではなかったので、どこか他人事のように思っていたといいます。
老後、ほとんどの人が頼りにする老齢年金。基礎年金は10年以上の受給資格期間があれば65歳から受給できます。また老齢基礎年金の受給資格期間があり、厚生年金保険の被保険者期間があれば、合わせて老齢厚生年金も受給できます。
受給開始年齢に達し、老齢年金の受給権が発生する場合は、通常、受給開始年齢に到達する3カ月前に「年金請求書」が届き、請求書の提出から約1〜2カ月後に「年金証書・年金決定通知書」が届きます。そこで実際の年金額を知ることになります。
60歳で定年を迎えた田中さんの定年直前の月収は約55万円。その後、働いていた会社に再雇用され、契約社員となり収入は約50%減の月28万円になりました。
65歳となり、会社を辞めて年金生活に入ることを決めましたが、そこから更に収入は40%ほど減ってしまった事になります。
日本の会社員であれば、ほとんどが、定年を機に短期間に収入が大幅減となる経験をします。そのため、将来を見据えて家計をサイズダウンすることが大切だと幾度となく言われるでしょう。田中さんも家計を見直し、しっかりと老後に備えてきたつもりです。
収入減の現実を前に、思わず、「たったこれだけで、どう生きていけというんだろう……」という愚痴がこぼれ、そのあとは言葉が続かなかったといいます。
「年金を増やしてくれ、といっても今の日本じゃ無理ですよね……自分で何とかするしかありません」
参照:Yahoo!ニュース(THE GOLD ONLINE)
この記事を読んだ素直な感想として、「豊かな老後が待っている人の贅沢病」と感じたのは私だけであろうか。この方は、関東圏で良い仕事に定年まで従事できたラッキーな人の話の様に感じてしまう。
私は地方に住んでいるが、周りに50万円以上の月収を取れている方なんて、ほぼいない。再雇用では、20万円を下回るケースが普通である。
年金額が月に、16万円前後出ていれば十分に良い方であろう。
この記事の方の場合、悔やむとしたら退職までに自信で資産を構築できていなかったのが課題となるところだ。何故なら、地方で働いている大部分の人は、資産を作る為の貯蓄を行うお金も無いのだから。
逆にだからこそ、生きる知恵に長けてくる。
小さな農地を持ち、自給自足を覚え、それを楽しみ、自然の中に余暇を見出すという風に、僅かな年金額でも生きていける知恵をもってイキイキと過ごしている様に見える。
そもそも、貧困という基準についても、世界と日本で全然違う。
日本では、世帯収入が300万円を下回ると貧困らしいが(相対的貧困)、世界では、1日に100円未満の生活費で生きている人を貧困という(絶対的貧困)
えっ?どうやって?
と思うだろうが、その人々は、通常は使用できない部位として捨てられるはずの牛や馬の頭を、ドラム缶で煮込んだ汁を飲んで生きているようだ。一度、その様を見られると良かろう。
この国が抱える問題は、少なくとも貧困問題では無いだろう。相対的貧困など、隣の芝を羨ましがっているに過ぎないからだ。
恐るるべきは、国民が国が誇りや歴史、神話を失くす事だと思う。
誰かが言っていた。
喰うために生きるな、生きる為に喰うことが許されるだけなのだと。
人生、生活、生存、死んでないだけ。
生きるという事自体の意味を、考えさせられるばかりだ。