お金を払った側なのに、なぜありがとう?

私は、「ありがとう」という言葉が大好きです。言うのも言われるのも大好き。

そもそも漢字では「有り難う」と書きますが、語源は古語の形容詞「ありがたし(有り難し)」で、これは「有ることが難しい=めったにない、珍しくて貴重だ」という意味です。相手の行為が「滅多にない貴重なこと」であるという認識から、深い感謝を伝える言葉として定着しました。

そう、誰かに何かをしてもらう事は、とても珍しくて貴重だということ。当り前じゃ決してないよって事。そして、この言葉こそ、お金と深く結びついていると感じています。

のどが渇いて、コンビニでお茶を買う。レジでお金を払うと、店員さんが「ありがとうございました」と言いますよね。もしかしたら、「お金を払っているんだから、言ってもらって当然」と思う人もいるかもしれません。

でも、私は少し違う見方でして・・・私たちは、お金を通して交換をしているだけで、こちらはお金を渡す、そしてその代わりに、お茶を受け取る。それは、昔でいう物々交換と、本質は同じって事です。

だったら、商品のお茶を渡してくれた人に、こちらも「ありがとう」と言うのは、とても自然なことだと思いませんか。

私が暮らす関西では、お金を払うときや、商品を受け取るときに、「ありがとう」と声をかける人が、わりと(かなりかな?)多いです。でも、出張などで他の地域に行くと、店員さんに「ありがとう」と言っただけで、少し驚かれることもあります。「どうして、こちら(お客側)が言うんですか?」と一緒にいた人に聞かれたこともあります。

たしかに中には、「お金を払っているんだから、こちらが上」というような態度を取る人もいます。けれど、お金を払うことは、偉さの証ではありません。それは、お互いに必要なものを交換している、ひとつのやり取りにすぎないのです。

こう考えるようになると、自然と、いろいろなことに感謝の気持ちが湧いてきます。お金の流れをよく見てみると、そこには、たくさんの人の働きがあります。

作る人。
運ぶ人。
売る人。
支える人。

お金は、誰かに喜んでもらった証として、「ありがとう」と一緒にやってきます。

レストランでごはんを食べたときも、「ありがとうございます」と言われる。そして、こちらも「ごちそうさまでした」と伝える。そのやり取りの中に、お金だけではない、あたたかな循環があります。

もし、お金と一緒に「ありがとう」が行き交う世の中になったら――きっと今より、少しやさしい世界になるのではないでしょうか。

お金は冷たいものではなく、感謝を運ぶ道具。そんなふうに、子どもたちにも感じてもらえたらいいなと思っています。