大手保険会社による、看過できない不祥事が明らかになった。
現段階でおよそ31億円・・・報道された後、コールセンターには電話が殺到している事を考えると、被害額はさらに増えると予想される。
しかし、例に倣い、メディアの扱いは限定的で、この問題もやがて世間の記憶から薄れていくのだろう。
それ自体が、金融機関という巨大な権力が、国家というシェルターに守られている証左でもある。
一般に、詐欺を避けるためには、最低限「金融登録業者」が提供する商品を選ぶべきだとされている。
これは事実であり、無登録業者と比べれば、被害回復の可能性は格段に高い。
しかし今回の件は、「金融機関であれば無条件に信用できる」という思い込みが、いかに危ういかを示す象徴的な事例でもある。
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なぜ、このような事態が起きたのか?
私は、この問題の背景に、二つの要因があると考えている。
一つ目は、「金融機関であるがゆえの油断」だ。
巨大な資本、強固な業界構造、そして行政との近さ。
これらに守られることで、「多少の逸脱は許される」「最終的には守られる」という驕りが生まれる。
組織が大きくなればなるほど、責任は分散され、倫理は形骸化しやすい。
これは金融業界に限らず、あらゆる巨大組織が陥る構造的リスクである。
二つ目は、「所詮、人の為すことだ」という厳然たる事実だ。
人は放っておけば、自らを正当化し、都合の良い理屈を積み重ねる。
だからこそ、古代中国の思想家・荀子は、人の本性を善とは見なさず、「生悪説」を説いた。
荀子は、人の内に芽生える悪意を抑え、正すものとして、
**法の遵守と、絶え間ない自己修養(修身)**を最重要視した。
つまり、「人は信用できないからこそ、制度と規範が必要」だという、極めて現実的な思想である。
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金融業界が忘れたもの
保険業界の市場規模は、年間およそ55兆円とも言われている。
これほどの規模と利益を生む業界でありながら、営業効率や売上至上主義に偏り、本来最も重視されるべき修身学や規範形成が軽視されてきたのではないか。
今回の問題は、決して「想定外の事故」ではない。
先人が繰り返し警鐘を鳴らしてきた地点に、文字通り躓いた結果に過ぎない。
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それでも「金融機関を選ぶ意味」は残る
とはいえ、今回被害に遭われた方々は、日本の金融信用維持という観点から、最終的には金銭的補填を受ける可能性が高いだろう。
この一点だけを切り取っても、金融知識に乏しい一般の人々にとって、「金融機関を選ぶ」という行為が、詐欺防止として一定の効果を持つことは否定できない。
重要なのは、「金融機関だから安心」ではなく、「金融機関であっても、見極め続ける」という姿勢を持つことだ。
金融とは制度であり、同時に人の営みでもある。
だからこそ、私たち自身にも「知る努力」と「疑う知性」が求められているのではないだろうか。

